Wienners『BURST POP ISLAND』感想
なんか昔どっかの議員がワールドカップの応援してる人たちに向かって「他人に自分を乗っけんな」みたいな暴言を言っていた。応援してる人たちに対して向ける言葉としてはおかしいけど、用法を選べばわりと悪くはない。応援と依存の境目を明確にしておくことはオタク活動のリスク管理の中でも重要度が高い。ドブのように臭い息を吐きながらニヨニヨと気持ちの悪い笑みを浮かべゴキブリのように駆けずり回るオタクのぼくでも気をつけている。
ぼくが中学生くらいの頃にはまあまあいたはずの、谷間の見える服を着て町中を闊歩するお姉さんが減った。今やそんなスケベな服を着てるのは顔を出さない裏垢女子くらいしかいない。しかしスケベな裏垢女子でさえも大抵は部屋で着てSNSにあげるに留まるので、いよいよ町中で見られる可能性は絶望的に低い。中学時代、文化祭に遊びに来てくれた教育実習の先生以来、そんなお姉さんは見ていない。本当はそれ以降も見たかもしれないけど、「教育実習やってたお姉さんが乳を出しながら中学の文化祭を見学しに来る」というイベントがセンセーショナルすぎて記憶に留まらないのかもしれない。ポスト文化祭は色を失った時代である。
ああいうお姉さんが減ったのは、ぼくのような中学生の視線に耐えられなかったからなのだろうか。だとしたら大変申し訳ないことをした。やたらめったらスケベなお姉さんに憧れていたあの頃はもはやスケベなお姉さんに人生を乗っけていたといっても過言ではない。「おい!スケベなお姉さんに自分の人生乗っけんな」とあの議員なら怒ったかもしれない。
「歌詞に共感できるんですよ~!」という街頭インタビューに憧れて、中高生の頃は恋愛ソングをわりかし聞いていた。恋愛ソングは乗っかるなんて一方的な気持ちではなく寄り添うみたいな双方向性を持った気持ちを歌っているので気持ちの悪いオタクには打ってつけのコミュニケーション教材であった。しかし実際聞いてみると、歌詞の内容にときめくとかそういうのは一切なく、楽しい感じのメロディーだから好きとか、切ない感じがするから好きとか、それぐらいの感想しか持つことができなかった。「おい!気持ちの悪いオタク!歌詞を理解しろ!人生とは乗っけるのではなく寄り添わせるものだ!」とあの議員なら怒ったかもしれない。
Wiennersは恋愛ソングがない。少なくともぼくが恋愛ソングと認識している曲は一つもない。そもそも何の歌なのかわかってる曲がそんなにない。でも、音楽的な心地よさが前面に出ていて、楽しくて最高の気分になれる。BURST POP ISLANDのM2『MY LAND』はまさに「音楽そのものを心の底から楽しみたい」という各人に内在している欲求を解放する曲だと思う。さすがに恋愛ソング感情移入至上主義のあの議員も舌を巻くに違いない。
新曲は以前に増して高濃度で鮮烈で血の滾るようなフレーズが多い。歌詞カードを見ているだけでもワクワクする。M1『ANIMALS』なんかはその筆頭である。人類の根源にある衝動を爆発させ野生の本能を呼び覚まさせるような熱いメロディ、生命・宇宙・繁栄・未来という全方位のキーワードを1つの曲に落とし込むスケールのデカすぎる世界観、まさに銀河系パンクバンドである。これを聴けばあの頃のスケベなお姉さんたちもかつての記憶を呼び覚まして乳を出し始めるに違いない。風邪を引いたり虫に刺されたりしない程度に頑張ってほしい。
毎度のことながらこのバンドのアルバムのイカしてるところの一つとして、アルバム全体で一つの大きな流れを持っているというのがある。特に今回は、ラスト3曲がクライマックスに向けて畳みかけるような構成になっていてすごくお気に入り。
M9『プロローグ』
M10『ゆりかご』
M11『FAR EAST DISCO』
の流れはコード進行でいうⅣ→Ⅴ→Ⅰだと思っている。「コード進行でいうⅣ→Ⅴ→Ⅰ」とは何かというと、名盤『CULT POP JAPAN』のM14『Hello, Goodbye』のラスサビ「ぼくは君だけに」などで使われている、強烈な終止感を生む進行のことである。
ぼくは『プロローグ』~『FAR EAST DISCO』の終止感を味わうために、敢えて1曲単体リピートはせずにアルバム全体をリピートして聞いている。このアルバムは本当に全体構成がクールで緻密で隙が無い。
Wiennersは相変わらず全身の細胞が生まれ変わるレベルのいい曲しか出さない恐ろしいバンドである。スケベなお姉さんが街から消えたポスト文化祭は、地球の平和を取り締まる警備隊によって完全に色を取り戻した。
WiennersのHello, Goodbyeが素晴らしいという話
BATTLE AND UNITY TOUR 2019のアンコールで、「Hello, Goodbye」を対バン相手とコラボしてやってたのを見て、改めてめっちゃいい曲だなと感じると同時に、「よし、コードをちゃんと勉強してこの曲の魅力を理解しよう!」と思い立ちました。
まずはコード理論を勉強するところから始めました。少し勉強したくらいでは全然知識と経験が足りなくて独力では解析しきれなかったので、詳しい友人にいろいろ教えてもらいながらやりました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとう。
結論からいうと、めっちゃ難しかったです。「Wiennersの中ではオーソドックスな感じの曲だしいけるんちゃうか?」とか思ってたぼくがバカでした。でもめっちゃ勉強になりました。
以下が解析内容と感想です。めちゃめちゃ教えてもらった内容をさも自分の言葉であるかのように書いています。ご容赦を。
概要
〇 スケール
前半:Gメジャー
後半:B♭メジャー
〇テンポ等
BPM210 4/4拍子
〇その他
度数表記列の下段は、借用和音の借用先のスケールでの度数です。コード進行の雰囲気をつかむのに便利かなと思って載せました。
細かい用語の意味は下部にメモとしてまとめたのでよければご活用ください。間違ってたらごめんなさい。
いいなと思うところ・学んだこと
〇ド頭のG(Ⅰ)→B7(Ⅲ)→C(Ⅳ)の寂しさ
B7からEmで偽終止になるところ、めっちゃ寂しくなる。ドミナントセブンス(※1)の強烈な不安定さがよくわかる。この3つを聞いただけでかなり満足してしまう。もう参った!降参!お手上げです。
ⅢはⅥmに対するセカンダリドミナント(※2)であり、それに対して偽終止という考え方を使ってⅣを持ってくるという技術モリモリな感じ。いきなりつまずいて、ヒイヒイ泣きながら友人に教えてもらいました。
〇Ⅳ→Ⅳmのもの寂しさ
この進行この曲でめちゃくちゃ登場します。これがこの曲に寂しさを感じるポイントなのかなと思います。
〇2つの「ロマンティック」
ライブに行ったことのある人やDVDを見たことのある人なら気づいている人もいるかもしれませんが、一番の「君は素敵にずっとロマンティック」のところは、まちこ先輩(CULT POP JAPANに収録されているほう)とサエちゃんで弾いている音が違います。具体的には、ロマン『ティック』のところでまちこ先輩はソ、サエちゃんはソ#を弾いています。(上に載せた譜面では、サエちゃんバージョンになっています。)
たったこれだけの違いなのですが、理論的にはめちゃめちゃ話が変わってきます。
まちこ先輩の場合だと、ここでのコードはEm(Ⅵm)になります。これはGメジャースケールのダイアトニックコード(Ⅵm)なので、「Ⅲm7→Ⅵmという強進行ですね」ですんなり話は終わるのですが、サエちゃんの場合は少し違います。
サエちゃんがソ#を弾くことで、ここのコードはEmではなくE(Ⅵ)になります。Eは、Gメジャースケール・Eナチュラルマイナースケール・Eハーモニックマイナースケール(※3)・Eメロディックマイナースケール(※4)のどれにも出てこないコードです。
ではEは一体どういう機能なのか。
これについて2点書きます。
【Eはどのスケールから借りてきたのか】
まずはEがどこから来たのかについて解決します。EがドミナントになるスケールはAかAmです。EをAmからの借用和音として考えると、これを含む前後の流れはⅡm7→Ⅴ→Ⅲ♭(ツーファイブからの偽終止)となります。借りてきたのはEだけなのに、Eを含む一連の流れはAmスケールとしてパワフルなものになっています。
【メジャーキーでのⅥの使われ方】
次に、GメジャーにおけるE(Ⅵ)の立ち位置について触れておきます。Ⅵを何かのセカンダリドミナントとして考えると、Ⅵの次に来れるのはサブドミナントのⅡmかⅣです。そして、一般的にⅣの前に来れるのはトニックかサブドミナントなので(※5)、Ⅵを含む流れは次のようなパターンになります。
・Ⅰ→Ⅵ→Ⅱm
・Ⅰ→Ⅵ→Ⅳ
・Ⅳ→Ⅵ→Ⅱm
(Ⅰは代理コードのⅢm・Ⅵmでも可)
この曲の場合は、Ⅲm(Ⅰの代理)→Ⅵ→Ⅳなので2つ目のパターンです。
これらのことから、サエちゃんの「ロマンティック」はAmスケールとしても成立しつつ、Gメジャーとしても自然な流れを汲んでいることがわかります。まだ初学者なのでよくわからんのですけどなんかすごくないですか?これってよくある話なんですか?たった1音違うだけで理論的にめちゃくちゃ複雑な話になるのがめちゃめちゃ面白い。
バンドのバックグラウンドとかを踏まえた個人的な感想なんですが、SUPER THANKS ULTRA JOY TOUR 2018のツアーファイナルでサエちゃんが言っていた「いつまでも『あとから来た人』でいるつもりはないので」という言葉通り、ただ過去を踏襲するだけではないんだぞという挑戦的な姿勢がこの1音から見えるような気がします。(行き過ぎた深読みおたく)なんにせよ、過去があっての現在というかそれぞれの良さというか、そんな感じの何かがあってなんか好きなポイントですね。
〇変化を予感させる間奏のⅤ→Ⅲm
間奏の前半8小節ではⅠ→Ⅵm→Ⅳ→Ⅴが繰り返されていますが、後半8小節はⅠがⅢmに変わっています。4つのコードのうち前2つがⅢm→Ⅵmとなり強進行になっています。変化を出しつつ強めの進行になっているのが「まだ続きがある…?」というワクワクを感じる理由なのかな~と考えています。
〇音数が減る転調の瞬間
上の譜面では表現しきれていないんですけれど、原曲では転調する小節でギターの音が少なくなります。GメジャースケールのメロディーにB♭スケールのコードを乗せることの違和感を抑えるためにあえて音数を減らしているのでは…?
〇「叶えてくれるかな?」
一番では「おいでよ もっと叶えてあげるから」だったフレーズが二番では「おいでよ もっと叶えてくれるかな?」に変わっていて、それに伴ってメロディーも変わっています。ここを一番と同じ歌い方にすると、おそらく「My love is only you」の進行が一番と同じⅤ→Ⅰとなってしまい、最後の「いつも大抵~」のフレーズにつなげられなくなってしまうので、メロディーが持つ曲をリードする力がここに表れているのかなと感じました。まだコード理論の勉強を始めたばかりでメロディーの仕組みにまで手を出せていないので、追々やっていけたらなと思っています。
〇二番の「My love is only you」の、もうひと山やってくる感
「My love is only you」は一番と共通のフレーズですが、コードの度数が異なります。『you』のところで一番ではⅠを、二番ではⅣを弾いています。一番の場合はⅤ→Ⅰというドミナントモーションで終止感が強く出ていますが、二番ではⅤ→Ⅳとなりその感じがありません。これによって、聞いている側が「一番と同じフレーズなのに終わらない…まだ何か来るのかな?」という期待感を覚えるのかなと思いました。
そして、Ⅳからは「君は素敵に~only 」の進行をもう一度繰り返し、最後の最後「僕は君だけ『に』」でⅠが登場し強烈な終止感がやってきます。二番ではしばらく偽終止もドミナントモーションもなかったので、ウワァーやっと来たあって感じ。あえて焦らしているのかしら。
〇後奏の寂しさ
「僕は君だけに」のあとのⅠ→Ⅱm→Ⅲm→Ⅲm7→Ⅵmって流れ、めちゃ寂しくなる。また会えるのに今日の別れを寂しく感じるあの気持ち。完全にあれ。
まとめ
なんとなく感じていた良さを理論的に理解することで、より一層この曲を好きになれた気がします。まだまだ勉強が足りないですが、これからも頑張ります。
ライブで最後にこの曲をやられると、最高潮に達した空気がシュワシュワはじけていく気分になります。その寂しさ、名残惜しさが「来てよかった、また来よう」「もっとこのバンドを応援しよう」って気持ちにつながっているような気がします。寂しさがありつつもどこか明るい響きがあって、優しい気持ちになれるとてもステキな曲です。みんな聞いて!!
メモ
ざっくりです。違ったらごめんなさい。
【トニック】
安定した響きを持つコード
スケールのキーやその倍音を含んでいる
度数でいうとⅠ(ⅢmとⅥmはその代理)
【ドミナント】
緊張感・不安感のあるコード
トニックに戻りたがる
度数でいうとⅤ(Ⅶm-5はその代理)
【サブドミナント】
半分安定・半分緊張って感じ
トニックにもドミナントにも行ける
度数でいうとⅣ(Ⅱmはその代理)
【ドミナントモーション】
ドミナントからトニックへ移行する進行
いい感じに締まる響きになる
【偽終止】
ドミナントからトニックの代理コードへ移行する進行
【強進行】
特定のコードから完全4度上または完全5度下のコードへ進行すること
ツーファイブとか
※1 ドミナントセブンス
「(度数)7」で書き表されるコード
トニックに一番戻りやすいコードみたいな感じ
トニックじゃないコードをトニックとみなしたときにドミナントにあたるもの
トニックじゃないコードの数だけセカンダリドミナントが存在する
※3 ハーモニックマイナースケール
ナチュラルマイナースケールの第7音を半音上げたもの
第6音と第7音との間が3半音開く(これを増音程という)
※4 メロディックマイナースケール
ナチュラルマイナースケールの第6音と第7音を半音上げたもの
ハーモニックマイナースケールの増音程が解消されている
最後の4音がメジャースケールと同じ全音・全音・半音の明るい響きになる
※5
サブドミナントに移れるのはトニックかサブドミナント。ドミナント→サブドミナントという動きはクラシック理論では認められない動き(ポップスでは存在するらしい)。
「知的生産の技術」感想
故 梅棹忠夫著「知的生産の技術」を読みました。知識を規格化することで扱いやすくし、体系的に知的生産を行おうという内容です。
以下印象に残った点
どんな規格品をつかっていても、それによってつくりだされる知的生産物が個性的・創造的であればよいのである (P87)
裏を返せば、個性的・創造的なアウトプットは没個性的なフレームワークからでも達成できるという話。「センス」の一言で片付けないためにも、いい戒めの言葉になると思いました。
整理は、機能の秩序の問題であり、整頓は、形式の秩序の問題である
(P91)
整理された棚はものを探しやすいけど、整頓しかされてない棚は探しにくいよなっていう感覚を言葉にして受容できたのですごくすっきりしました。
知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといってよいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもよい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。
(P107)
無秩序に詰めこむのではなく整理することで引き出しやすくするというのは物でも情報でも同じだよな~、整理されてた方が落ち着くよな~と、受験生のころに必死に日本史を詰めこんで心が荒んでいたのを思い出しました。
第二に、「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でもなんのことがかいてあるのか、わからなくなってしまう。日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがよい。手紙に形式があるように、日記にも形式が必要である。
(P180)
高校生の頃に勢いや感情に任せて書きまくってたブログも、今読み返してみると何について書いてたのかよく分からないものがけっこうあるし、客観的に秩序立てて書くことって大事だな、、、と過ぎ去った日々を思いながらしみじみ反省。
ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録をとることに努力する。これは、科学者にかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得であろう。
(P189)
これは常々考えていたことだったので、改めて人の文章で読めることが嬉しかったです。知識そのものは忘れてもいい状態にして整理しておく。整理しておけば、いつでも引き出せるし脳内にも余裕を作ることができる。検索のしかたさえ覚えておけば何でも見つけられるインターネットみたいな。
くりかえしていうことだが、わたしたちの社会の、制度化された教育体系では、達成された成果を次代につたえるということには、なかなか熱心であったが、その達成までの技術を開発し、発展させようという気もちは、あまりなかったようにおもわれる。技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである。
(P193)
スポーツの指導でも、やるべき練習とか練習メニューの意味は教えてくれるけど、どのようにしてその練習をするに至ったかまでは教えてくれないことがある気がします。ベストなのは、必要な練習メニューをゼロから自分で考えられるようになれること。だけど、そんなのみんなができるわけではないので、ゼロから考えられる人の知恵を広めるというのも大切なのかなと思いました。(ゼロから考えられない人の甘えた感想)
以上
本読むの苦手だけど、頑張って読んで、感想も書いていこうと思います。
夢眠ねむ卒業公演 感想
※何かしら解釈違いあったら申し訳ありません。まろ狂シリーズをいま読んでいるところなので、読んでいる途中で解釈違い等発見したら随時修正していきます。あと、このブログは備忘録くらいの軽い気持ちで(あと、知り合いがちょっと読んでくれたらいいなくらいの気持ちで)書いているものなので、(ないと思うけど)拡散とかは勘弁してください。恥ずかしいので。
2019年1月7日(月)、ねむきゅんの卒業ライブに行きました。
前置き:卒業発表時の印象
2018年10月に卒業の発表があったときは驚いたけど、2017年あたりからの活動(ボーカロイド「夢眠ネム」とか写真集「peppermint」とか)を追っていくと、準備万端・満を持して完成するぞ!っていう感じなのかなという印象。文脈がしっかりできあがっているからスッと受け入れることができました。同時に、すべての活動が卒業への伏線となっていたんだなあと、ねむきゅんの芸術家魂に感動しました。
本編:ライブの感想
アイドルとしてこれ以上ないであろう完璧な「終活」でした。
前段に書いた「伏線」たちの回収はライブ中にもありました。(勝手にぼくがそう思っているだけかもしれん。)アルバム「ワレワレハデンパグミインクダ」のジャケット写真で、ねむきゅんとねもちゃん(根本凪)が同じ色のセーラーを着ていた理由についてです。ライブ終盤のMCで行われたミントグリーンの継承によって「おそろいの色だったのは、ねもちゃんがねむきゅんの色を受け継ぐという意味だったんだな~」と納得。自分の推しから色を受け継ぐことの重みはすさまじいだろうけど、ねもちゃんもねもちゃんらしくミントグリーンを纏えるといいなあと思いました。
アンコールもよかったです。絢爛マイユース。ラストのフレーズをねむきゅんが一人で歌って、ほかのメンバーが花吹雪でねむきゅんを包む景色。多幸感あふれすぎてて涙が止まらなかった。「秋葉原では卒業はおめでとう」という言葉をこんなにもストレートに表現するなんて、、、こんな演出を提案したぼくの推しは天才ですね!
あの演出で、曲の解釈も広がったんじゃないかと思いました。歌詞の内容からして「みんなから送るねむきゅんへの送辞」であるようにも思えるけれど、ねむきゅんがソロで歌うことで「ねむきゅんから送るみんなへの答辞」でもあることがはっきりしたわけで。送辞でありながら答辞。。。いやー、こんな歌詞を考えたぼくの推し(バンドマンの方)は天才ですね!
言葉が心の奥底
溢れて選べなくて困っちゃうから
月並みだけど「ありがとう…」
その先はまた今度ね
今まで過ごした全部が
私の宝物
この歌詞、送られる側と送る側のどちらにも当てはまる内容ですよね?天才じゃない?みんなこの天才ぶりに打ちひしがれたのを機にWiennersのライブにも来てくれ。
ダブルアンコールの演出も素敵でしたね。どんなに素敵な演出でハッピーに終わったとしても、「卒業したからおしま~い!」ではやっぱり寂しいし、不安になってしまう。ねむきゅんはそんなオタクたちの気持ちを汲み取って、6人になって初めてのFuture Diverを一緒に見てくれました。
表舞台からはいなくなっちゃう。
でも、今度は一緒に応援してくれる。
そう思うと、少し心が軽くなりました。ぬかりないアフターケア、飽くなき俯瞰精神、これぞアイドル夢眠ねむ!という感じ。本編のМCでもねむきゅんが「私が卒業した後もちゃんとライブに来るようにってあとでオタクたちにも言っておくから」みたいなことをチラッと話していたけど、まさかこんな形でそれが達成されるとは思わなかったなあ。
「終わらせることのカッコよさ」を、体を張って、人生をかけて伝えてくれたねむきゅん。全力で頑張って、いっぱい影響を与えて、いっぱい救って。まいた種には必ず花を咲かせて実らせる、緻密な構成力とやり遂げる実行力。これはアイドルがどうとかの次元じゃなくて、もっと普遍的な話。我々が等しく向き合う、人生についての表現だと思いました。
夢眠ねむさん、ご卒業おめでとうございます。これからの人生も素晴らしいものとなるよう応援しています。そして、これからは一緒にでんぱ組を応援しましょう!あと、たぬきゅんと結婚させてくれ!
「GIRL FRIENDS」感想
百合漫画のバイブルと呼ばれている名作「GIRL FRIENDS」を読みました。すごく好きなので3~4回くらい読み返しています。百合漫画のいいところが全部詰め込まれた作品なので、百合もの読んだことないけど読んでみたいという人には打ってつけなんじゃないかなと思います。
いいところ①:親愛から始まる恋愛
百合のド定番ですね。「いやいやそれはNL(ノーマルラブ:異性愛者の男女の恋愛)でも起こりうるでしょう」という意見もあるかもしれませんが、「親愛から恋愛への発展」というブランドは同性間でこそ際立つとぼくは思います。
たとえ男女で友達からカップルに発展したとしてもそれは「いやいやなんやかんや言ってもはじめからお互いその気があったんやろ?な?正直なとこな?隠さんでええよボクにはわかるから」って思っちゃう。そういう病気なので許してほしい。
いいところ②:友達に恋心を抱く自分に対する嫌悪
主人公が「女の子同士なんておかしい」という気持ちから自分のことをどんどん嫌になっていくシーンがあります。読んでいる側としてはつらいけど、欠かせない重要な場面です。
「私、最悪…」
2巻の見どころの一つですね。
いいところ③:自己嫌悪・葛藤からぐちゃぐちゃになる心
いいところ②の延長線上の話。百合漫画に出てくるすべての女の子は、自己嫌悪に苛まれ続けた結果「私は好きな女の子の一番の親友でいたいから、関係を壊さないように自分の心に蓋をしよう・嘘をつこう」と思います。必定です。
だけどそういうのは全然うまくいきません。それもまた必定。この作品も多分に漏れず、諦めようとしても心苦しくなるばかり。次第に主人公の心はぐちゃぐちゃになっていきます。
「早く離れてよ、あっこから。」
あ~そういうの、そういうの。ごめんね人のつらいとこ見て興奮してしまって。
いいところ④:かわいい
やっぱり百合の一番のポイントは「かわいい」ところだと思います。物語後半、晴れて結ばれたあとのシーンとか特にかわいく描かれます。そういうシーンに出くわすと、「二人の恋の行方をずっと見守ってきた者にのみ与えられる光景だなあ」とブツクサ唱えながら手を合わせます。ちなみにぼくはかわいいシーンを見るとニヨニヨしちゃう病気にもかかっているのですが、電車の中で突発的に発症する危険性があるので結構困っています。
男女カップルのほうが自分を投影して楽しめるという意見もあると思いますが、ぼくは自分の男性性が大嫌いなので自分とは切り離して楽しめる百合のほうが好きです。この話は別記事で書いたほうがいいな。暗くなるわ。
いいところ⑤:巻数とその構成
この作品の構成は丁寧で特徴的です。全5巻ですが、ただ長く続いている物語を5分割しているわけではありません。1巻が終わるごとに場面が大きく展開していきます。だから構成が明確で読みやすいです。単行本化することを見越しての構成にしていたんだな~、すごいな~。
「GIRL FRIENDS」の感想を書いていたつもりなのに、けっこう百合というジャンルのいいところについて書いている気がする。まあ百合もの全般ににいえる「いいところ」はこの作品にももちろん入っているので是非読んでみてください。
SUPER THANKS ULTRA JOY TOUR 2018 感想
Wiennersの結成十周年記念ツアー、名古屋と東京に参加。(大阪も行きたかったけど研修があったので断念…)
以下よかったところ
・大ボリューム
約2時間半(東京は36曲もやった)という超大ボリュームなのに相変わらずあっという間に感じてしまう、疾走感と爽快感。ていうか36曲て。
・「終わらない青春」感
Wiennersのライブを見てると、ああ、これが青春なんだなっていう気持ちになる。あのステージ上に立っているメンバーには、青春が終わる気配がない。妬いちゃう。
10年前の初期衝動・熱気・熱量を保ち続けるって、やっぱめちゃくちゃすごいことなわけで。「十年一日のごとし」っていうと、何も変化がないように聞こえるかもしれないけど、10年の間、あの空気を守り続けるために彼らは進化し続けてきたんだと思うと、やっぱすげえなーーーーーーーーってなる。
ていうか青春ぽさを確信するようになったのは、「マイノリティ」の功績かな。そう思ってしまう時点で完全に手のひらの上で転がされてしまっている(TENのライナーノーツ読んだ奴並みの感想)。
・メンバーの人柄のよさ
ライブのMCや、曲を歌い終えたあと、必ずメンバーが感謝の言葉を口にしてて、それがすごくいい。あんまりよそのライブに行ったことないから断定的なことは言えないけど、こんなに客に謝意を伝えるバンドも少ないんじゃなかろうか。そんなところも彼らの人柄のよさが滲み出ていて、より一層彼らのことを好きになる。
・まとめ
いやーもうこれラブレターですね、ガハハ。
「海辺のエトランゼ」感想
でんぱ組のサイン会で、根本凪ちゃん(以下「ねもちゃん」)とお話したときのこと
ぼく「オススメのBLマンガ教えてください!」
ねもちゃん「『海辺のエトランゼ』がめっちゃいいよ!」
ぼく「分かった!読みます!」
ぼくからオタクオーラを感じ取ったねもちゃん「その感じ…けっこう読んでるクチですよね?」
ぼく「百合マンガは読みまくってるので、BLマンガも読んでみようかなって」
ねもちゃん「そうなんだ~ぜひ読んでみて~」
ぼく「ウッス!」
読みました。
以下よかったところ(解釈違いとかあったらごめんなさい。初心者なので許して。)
【美少年×美少年】
このお話のカップルは「美少年×美少年」の組み合わせでした。
ゲイの世界って一般的に雄々しさ(筋肉とか)が重要視されてるイメージなんですけど(これは完全にイメージです)、それとは程遠かったです。超美少年。むしろ二人ともヒョロガリ感すらあった。でも、ヒョロガリ美少年特有の儚さ、あるよね。あるよね?
【実央が駿にベタベタ】
ナンパされた側がした側にゾッコンなのいいなあと思いました。実央ははじめ暗い表情しか見せなくてつれない印象だったので、なついた後の犬っぽさがギャップあってよかったです。
【不安がる駿】
百合マンガに、いや全恋愛マンガに共通するというべき事項かもしれない、「好きな人だからこそ、怖くなってしまう」みたいな心理がいい。怖くてつい突き放すような態度取っちゃう駿。けどそれがむしろ実央の気持ちを確かめることに繋がっちゃうわけで、ウワーーーヒューヒューって感じ。恋愛マンガの醍醐味ですね。
【エッチなシーンがエッチだった】
これ、当たり前なんすけど、めっちゃ重要ですよ。「えっちだなあ」ってブツクサ言いながらタブレットのページをスライドしてました。
「こっちは入れてほしい方なの」
えっちだなあ
・まとめ
読みやすかった。ねもちゃんありがとう。他にも読んでみます。